ウラン物語、その4 核分裂発見の歴史、事故の歴史、天野治    

 

ウラン235中性子を吸収してウラン236となり、それが不安定で核分裂する。普通の中性子では、速すぎてウラン235が吸収できない。大半のウラン(238)は中性子を吸収しても、ウラン239になるなど、少し太るだけである。

しかし、1938年にドイツの科学者とドイツを逃れた科学者によって、世界で初めて核分裂が発見された。世界は翌年から始まる第二次世界大戦に向けて準備をしていた時期であった。ドイツと反ドイツ(イギリス、フランス、米国)が核分裂の戦争利用に向けて、様々な動きを活発にする。

ウラン235が速度の遅い中性子を吸収して、核分裂を起こす。その結果、1個の中性子を発生させるなら、連鎖反応は起こらない。実際は2から3個の中性子を発生する。連鎖反応がネズミ算的に広がる。ダイナマイト爆弾を遥かに凌ぐ、原爆の可能性である。

並行して、核分裂を制御する臨界についても米国を中心に研究が進められた。

エンリコフェルミなどの緻密な実験とは、別に少しラフな工学的な実験も行われた。海軍、陸軍、大学などである。

連鎖反応は非常に速い速度である。臨界に近づくと、中性子を吸収する制御棒を挿入する。実験では、手で制御棒を挿入する。緊急の場合に、ロープで燃料の上から吊るし、臨界になったら、ロープを斧で切る。いつも、斧を振り上げて待機している人がいる。失敗も多かった。その失敗から米国は沢山のことを学んで、今の原子力発電所のシステムにしている。

 

日本は、マスコミなどが失敗を大きく書き立てる。このため、失敗が地下に隠れる。小さな失敗は我々の財産である。